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2/23 マタイ福音書のイエス (第29回)~「セイショ」の観点からの「正義」とは~

執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル平岡ジョイフルチャペル

2025年2月23日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第29回)

       ~「セイショ」の観点からの「正義」とは~」

聖書箇所    マタイ福音書 5章20節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

20 言っておくが,あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ,あなたがたは決して天の国に入ることができない。


 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


20 λέγω γὰρ ὑμῖν ὅτι ἐὰν μὴ περισσεύσῃ ὑμῶν ἡ δικαιοσύνη ⸃ πλεῖον τῶν γραμματέων καὶ Φαρισαίων, οὐ μὴ εἰσέλθητε εἰς τὴν βασιλείαν τῶν οὐρανῶν.

なぜなら私はあなたがたに言います.「上の上でなければ←あなたがたの正義が/に加えて←書記たち・パリサイ党員(の正義),あなたがたは決して入らないでしょう←諸天の王国の中に.


20.1 「なぜなら私はあなたがたに言います」

 歴史上のイエスが語った言葉とは思われない.水準が低い.福音書記者が,自分の考えをイエスに付託して語っている.権力を振りかざすユダヤ教指導者たちに対して,「この紋所が目に入らぬか」と,逆に権威を振りかざしている.五十歩百歩の感を免れない.

20.1.1 権力を振りかざす権力者に権力を振りかざす水戸黄門


 正義を大上段に振りかざす人は,怪しい.疑ってみる必要がある.

20.1.2 ビアス著『悪魔の辞典』における「正義の定義」

 【正義】 忠誠,税金,個人的貢献に対する報償として,国が国民に売りつける,程度の差はあるが,混ぜ物で品質の落ちた商品.


20.2 「上の上でなければ←あなたがたの正義が/に加えて←書記たち・パリサイ党員(の正義)」

20.2.1 「上の上でなければ」

 「上の上」と訳した「ペリッセウオー」は,単に上であるに止まらず,もっと上を意味する.銅メダルで満足してはいけない.その上の上に金メダルがありますよ,という水準の話.偏差値至上主義の幻想を思わざるをえない.

20.2.2 「あなたがたの正義が」

 「あなたがた」とは,マタイ共同体のクリスチャンたち.「正義」の前に置かれているから強調.「他でもなくあなたがたの」という意味合い.マタイ共同体の観点からの正義のことを言っている.とはいえ,それはユダヤ教における父祖伝来の口伝律法と異なるものではない.それらは,マタイ共同体においても正義であった.したがって,ここで問題とされているのは,正義の文言ではなく,正義の実行である.実行の度合い,程度,量,そして質である.


20.3 「に加えて」

 実行の厳格性を強化している.比較にならないくらい厳格でなくてはならない.

20.4 「書記たち・パリサイ党員(の正義)」

 マタイ共同体の時代における,シナゴーグのユダヤ教指導者たちを指すと思われる.紀元70年のユダヤ戦争によるエルサレム壊滅以後,各地のシナゴーグで,パリサイ党の書記たちが,ユダヤ教徒の宗教生活を指導していた.そもそも,紀元70年以前のユダヤ教社会では,ほとんどの書記たちはパリサイ党に所属していなかった.

 ユダヤ教指導者たちといっても一筋縄ではなかった.厳格派もあれば寛容派もあった.シャンマイ派は,トーラー(ユダヤ教法律)を解釈して,日常生活,祭儀,儀礼行為に適用するにあたり,厳格な立場をとった.ヒレル派はラビ・ヒレルの流れである.ヒレルは,当時の律法の形骸化を厳しく批判し、律法の中で最も重要なものは「神への愛」と「隣人愛」であると説いた。ヒレル派は,シャンマイに比して穏健な判断を示し,後70年のユダヤ戦争以後は,ヒレル派がユダヤ教全体に対する指導的立場となった.パウロは,ヒレルの孫ガマリエルの下でトーラーを学んだ.マタイ共同体は,このヒレル派に反対し,シャンマイ派に同調していたと思われる.マタイ共同体の観点からは,父祖伝来の口伝律法を穏健かつ自由に適用するような人たちは,掟を緩める人たち,掟を軽んじる人たちであった.

20.5 口伝伝承の掟の実行に関する姿勢

 マタイ共同体は,掟の実行に関して厳格な姿勢をとった.安息日の掟に関しては,してはならない39の仕事に関する掟を厳格に守っていたものと思われる.




20.6 山口良忠判事(1913-1947)〜ヤミを拒み栄養失調で死亡

 マタイ共同体が志向した正義の厳格な実行を,地で行った裁判官が,昭和時代の日本にいた.山口良忠判事である.日本に食料が足りなかった太平洋戦争中から戦後に,ヤミ米(やみごめ)を売買した人たちを罰する裁判も担当していたため,自分もヤミ米を食べなかった.栄養失調で1947年に死去.享年33歳.枕元には「食糧統制法は悪法だが,ソクラテスが悪法に殉じた態度には敬服する.今日,法治国の国民には,特にこの精神が必要だ.自分はどんなに苦しくとも,ヤミ買いはしない.ヤミと闘って餓死するのだ」という意味の遺書が残されていた.

ソクラテス最後の場面

20.5 「あなたがたは決して入らないでしょう←諸天の王国の中に」

20.5.1 「あなたがたは決して入らないでしょう」

 「入る」という言葉は,この受験の季節において受験生にとって希望の星であろう.マタイは,第一志望の大学合格など比べられないほどすばらしいものについて語る.


20.5.2 「諸天の王国」

 これについては,前回の講話に中で触れた.バビロニアの大帝国を彷彿とさせる印象を継承している.

(1)新バビロニア王国の版図

(2)バビロニア文明の宇宙観



(3)バビロン

 マタイは,オアシスの中にある豊かな王国バビロンのような王国に憧れているのかもしれない.

 1970年,80年第のベトナム難民やカンボジア難民の人たちが,オーストラリアに憧れたように.































 
 
 

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