2023年8月27日 主日礼拝
聖書講話 「マルコ福音書のイエス (第132回)〜女性による香油注ぎの真意」
聖書箇所 マルコ福音書 14章6〜9節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
6 イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのだ。
7 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、私はいつも一緒にいるわけではない。
8 この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もって私の体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。
9 よく言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
[下線は改善の余地があると私には思われる部分である]
以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.
6 ὁ δὲ Ἰησοῦς εἶπεν· ἄφετε αὐτήν· τί αὐτῇ κόπους παρέχετε; καλὸν ἔργον ἠργάσατο ἐν ἐμοί.
イエスは言った.「あなたがたは彼女を許してください (←それをしたことを).なぜ彼女にあなたがたは打撲を提供するのですか?麗しい行為を彼女は私にしました.
6.1 「イエスは言った」
イエスは,女性に激高した何人かの掟主義者に言った.晩餐の出席者全員に対してではない.
6.2 「あなたがたは彼女を許してください(←それをしたことを)」
6.2.1 「許してください」
定動詞は「アピエーミ」.原義は「弓矢を放つ」.弓を振り絞った緊張状態から弓矢を解放する.緊縛しない.拘束しない.彼女がした行為を許す.何人かは,女性が今し方おこなった行為を非難した.イエスは歓迎した.
6.3 「なぜ彼女にあなたがたは打撲を提供するのですか?」
6.3.1 「打撲を提供する」
「打撃」と訳した「コポス」は,「労苦」という意味で使用されることもあるが,原義は「打撃」.何人かの掟主義者は,心の中で女性に打撃を加えている.しかも,ここの「コポス」は複数形であるから,何発も打撃を食らわしている.そもそも掟は人間の安全と幸福のためにある.しかし,硬直化した掟主義は人間を打撲し痛めつける.
6.4 「麗しい行為を彼女は私にしました」
6.4.1 「麗しい行為」
「麗しい」(カロス)の原義は「美しい」.女性の行為は美しい.損得勘定はない.イエスへの純粋な心.それが麗しい行為として現れた.興味深いことに,女性は一言も発しない.純粋な心は時として言葉にならない.行為でしか現れない.
7 πάντοτε γὰρ τοὺς πτωχοὺς ἔχετε μεθʼ ἑαυτῶν καὶ ὅταν θέλητε δύνασθε αὐτοῖς εὖ ποιῆσαι, ἐμὲ δὲ οὐ πάντοτε ἔχετε.
なぜなら,いつでも極貧の人たちをあなたがたはもっています/自分自身と共に.そして,あなたがたが欲する時/あなたがたは彼らにできます/善く行為することが.しかし,この私をいつでもあなたがたはもっているとはかぎりません.
7.1 「なぜなら,いつでも極貧の人たちをあなたがたはもっています/自分自身と共に」
7.1.1 「なぜなら」(ガル)
前節の「あなたがたは彼女を許してください(←それをしたことを)」の理由説明.
7.1.2 「いつでも極貧の人たちをあなたがたはもっています/自分自身と共に」
「いつでも」(パントテ)が文頭に置かれている.強調である.慈善の機会は,この日この時にかぎらない.この度の女性の行動は.この日この時でなければならない.
「極貧の人たち」(プトーコイ)は,ぺこぺこと物乞いをしなければ生きていくことができない人たち.それゆえこのように訳した.「もっている」は,宝石のように貴重なものをもっているという意味合い.それを大切に守る責任があるというのが,「自分自身と共に」の意味合い.肌身離さず持っている.極貧者への掟主義者たちの配慮それ自体を,イエスは批判しているのではない.
7.1.3 ニュッサのグレゴリオス
たとえば,東方のギリシャ教父ニュッサのグレゴリオスは,極貧の人たちを身近に持った.彼らをキリストのように見なし,お世話をした.
7.2 「あなたがたが欲する時/あなたがたは彼らにできます/善く行為することが」
7.2.1 「あなたがたが欲する時」
「欲する」(テロー)こと.それは人間の自然本来の性質である.そして「欲する」ことは「できます」(デュナマイ)と連動している.「欲する」ことは「できる」ことである.その場合,何を「欲する」か,何が「できる」かが重要.マルコのイエスは言う.「善く行為する」ことであると.ここで注意したいことは,前節の女性の「良い」行為は「カロス」.ここ7節の「善く」(エウ).それは善悪の善.倫理的善.女性の場合は心の「美」「麗しさ」.自発性,喜び,純粋を特徴とする.女性に反対する「数人」の「エウ」は規範,倫理,掟.強制感を否めない.
7.3 「しかし,この私をいつでもあなたがたはもっているとは限りません」
7.3.1 「この私」(エメ)
「メ」(私)に「エ」がついている.強調形.人間全般ではなく,イエスだけ.人類全般を愛するかではなく,イエス個人を愛するかである.全人類を愛するが,イエスだけは愛さないというのでは,お話にならない.
7.3.2 「いつでも」(パントテ)
パントテが繰り返される.ここでは「ウー」という否定辞がついているので,「いつでも・・・とはかぎらない」と訳した.この度のイエスは,いつでもの人ではない.その後の人でもない.どこかの人でもない.今ここの人である.今ここでなければ,イエスに対するカロスの行為の機会を永遠に失ってしまう.『走れメロス』のメロスのように,親友セリヌンティウスのために,全身全霊をもって今なすべきことをなさねばならない.
8 ὃ ἔσχεν ἐποίησεν· προέλαβεν μυρίσαι τὸ σῶμά μου εἰς τὸν ἐνταφιασμόν.
持ったものを彼女は行為しました.彼女は先取りしました/私の体に塗油することを/埋葬準備のために.
8.1 「持ったものを彼女は行為しました」
「持ったもの」とは,ナルド香油満載のアラバストロス壺.女性は壺を割って,香油を一滴も残すところなく全部イエスに注いだ.その献身的な行為をマルコのイエスは全面的に歓迎している.
8.2 「彼女は先取りしました/私の体に塗油することを/埋葬準備のために」
女性による香油注ぎの伝承に対する,福音書記者マルコの解釈.伝承では「注ぐ」(カテケオー)であったのを,マルコは「塗油する」(ミュリゾー)に変更した.「埋葬準備」(エンタピアスモス)に合わせるためであろう.イエスはがこれから先どんな悲惨な目に会おうとも,大量の高価な香油を塗油されるのに値する王に変わりはない,とマルコは言いたい.
9 ἀμὴν δὲ λέγω ὑμῖν, ὅπου ἐὰν κηρυχθῇ τὸ εὐαγγέλιον εἰς ὅλον τὸν κόσμον, καὶ ὃ ἐποίησεν αὕτη λαληθήσεται εἰς μνημόσυνον αὐτῆς.
アメーン.私はあなたがたに言います.「どこでも/伝えられるであろうならば/そのエウアンゲリオンが/全世界へと,彼女が行為したこともまた語られるでしょう/彼女への記憶として.
9.1 「アメーン.私はあなたがたに言います」
福音書記者マルコは,イエスに付託してマルコ共同体のクリスチャンたちに言う.言うというより,勧め励ます.
9.2 「どこでも/伝えられるであろうならば/そのエウアンゲリオンが/全世界へと」
9.2.1 「どこでも」
「全世界」と相まって,全世界のどこでもということ.マルコ共同体の遠大かつ広大な拡張への情熱をうかがわせる.
9.2.2 「伝えられるであろうならば/そのエウアンゲリオンが」
「伝えられるであろうならば」という条件文は,そうなるであろう蓋然性が高いことを示す.「そのエウアンゲリオン」(ト・エウアンゲリオン)は,マルコ福音書ではマルコ福音書まるごと全体を指す.その内容はイエス.イエスの人格.特に,強きをくじき弱きを助くイエスの社会活動.「エウアンゲリオン」の原義は,高貴な人から下賜される報償金.極めて高貴なもの.すこぶるためになるもの.マルコ福音書はためになる.イエスはためになる.そして女性の行動もエウアンゲリオンの重要な一部である.
9.3 「彼女が行為したこともまた語られるでしょう/彼女への記憶として」
マルコ共同体の家の諸教会では,女性によるイエスへの香油注ぎの行為が,折りに触れて思い出され,伝承として語り継がれたことを示唆する.
私も女性の行動の真意を記憶し,継承する一人でありたい.
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