2024年8月25日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第10回)
~エジプトから〈イスラエル〉への移住〜」
聖書箇所 マタイ福音書2章19〜23節 話者 三上 章
聖書協会共同訳 〈下線は改善の余地があると思われる部分〉
19 ヘロデが死ぬと、主の天使が、エジプトにいるヨセフに夢で現れて、20 言った。「起きて、幼子とその母を連れ、イスラエルの地へ行きなさい。幼子の命を狙っていた人たちは、死んでしまった。」21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。22 しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞き、そこへ行くことを恐れた。すると、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方へ退き、23 ナザレという町に行って住んだ。こうして、「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現したのである。
以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.
19 Τελευτήσαντος δὲ τοῦ Ἡρῴδου ἰδοὺ ἄγγελος κυρίου φαίνεται κατ’ ὄναρ ⸃ τῷ Ἰωσὴφ ἐν Αἰγύπτῳ
死去した後←そのヘーローデースが/見よ!/(一人の)主の使者が現れる←夢で←イオーセープに/アイギュプトスの中の.
19.1 「死去した後←そのヘーローデースが」
いわゆるヘロデ大王の死去は,西暦紀元4年と言われている.心労や病気で苦しんでいたが,70歳の高齢まで生きたと言われているが,不確かである.彼は子どもイエスの命を狙っていた.イエスによる王位奪取を恐れていたからである.福音書記者の筋書きでは,イエスを将来ユダヤ人の王国の王になるべき子どもである.
19.2 「見よ!」
マタイは,彼にとって重要な事件に聴衆の注目を求める.
19.3 「(一人の)主の使者が現れる←夢で←イオーセープに←アイギュプトスの中の」
19.3.1 「(一人の)主の使いが現れる←夢で←イオーセープに」
「主の使者」とは,ユダヤ人であるヨセフにとって,ヤハウェから派遣された使者.この度も夢の中でヨセフに現れた.彼にとって紛れもない宗教体験である.
19.3.2 「アイギュプトスの中の」
イエスの一家はエジプトに避難していた.エジプトのどの場所であるかは,示されていない.仮にアレクサンドリアであると想像してみよう.そこは世界初の百万都市.西暦紀元1世紀において,世界最大のディアスポラのユダヤ人を擁していた.ユダヤ人の人口は数万に及び,フィロンは,全エジプトのユダヤ人は少なくとも100万にと推定している.アレクサンドリアは,ギリシアのアテナイを模範にして建設された.ヘレニズム文化が栄えた都市で,しかもその中に確立していたユダヤ教共同体の中で,イエスが成長したと推測するならば,さぞかしイエスは王となるべき素養を身に付けたであろう・・・と想像が膨らむ.
20 λέγων · Ἐγερθεὶς παράλαβε τὸ παιδίον καὶ τὴν μητέρα αὐτοῦ καὶ πορεύου εἰς γῆν Ἰσραήλ, τεθνήκασιν γὰρ οἱ ζητοῦντες τὴν ψυχὴν τοῦ παιδίου.
いわく.「起きて,そばに取りなさい←その子どもとそれの母親を/そして行きなさい←イスラエールの地の中へ.なぜなら,(すでに)死んでいる←狙っていた人たちは←命を←その子どもの.
20.1 「いわく」
ヤハウェはその使者を通して,ヨセフに明確な指示を与えた.
20.2 「起きて,そばに取りなさい←その子どもとそれの母親を」
20.2.1 「起きて」
緊急指示である.今すぐにという含蓄がある.
20.2.2 「そばに取りなさい」
これがが「パラランバノー」の原義である.「パラ」(そばに)と「ランバノー」(取る)の合成動詞である.見に引き寄せ,しっかりと守るという含蓄がある.
20.2.3 「その子どもとそれの母親を」
注目すべき表現である.「子どもと妻」とは言われていない.マタイは,マリアをヨセフの妻であると言いたくない.マリアはあくまでもイエスの母である.マリア信仰の兆しがここに読み取れるかもしれない.
20.3 「行きなさい←イスラエールの地の中へ」
「イスラエル」は,前1000年頃に栄えたとされる古代イスラエル王国を連想させる.もちろんイエスの時代のパレスティナは,イスラエルではない.ローマ帝国の領土である.それにもかかわらず,イエス時代のユダヤ人の中には,古代イスラエル王国の再興を待望する人たちがいた.彼らにとってイスラエルは大いなる理想である.マタイ教会のクリスチャンたちの中にも,この理想を堅持する人たちがいた.
20.4 「なぜなら(すでに)死んでいる←狙っていた人たちは←命を←その子どもの」
イエスの命を狙っていた人たちとは,ヘロデ大王とその臣下たちであろう.ヨセフに安全を保障している.ところで,ヘロデ大王だけではなく,彼の臣下全員がすでに死んでいるというのだろうか?曖昧さが残る.
21 ὁ δὲ ἐγερθεὶς παρέλαβε τὸ παιδίον καὶ τὴν μητέρα αὐτοῦ καὶ εἰσῆλθεν εἰς γῆν Ἰσραήλ.
彼(ヨセフ)は起きて,そばに取った←その子どもとそれの母親を.そして中に入った←イスラエールの地の中へ.
21.1 「彼(ヨセフ)は起きて,そばに取った←その子どもとそれの母親を」
パレスティナ行きの経路は書かれていない.
21.2 「中に入った←イスラエールの地の中へ」
パレスティナのどの場所かも書かれていない.おそらくガザあたりであろうか.「中に」(エイス)という前置詞が2回使用されている.とにかく子どもと母親を連れたヨセフは,パレスティナの地に足を踏み入れた.おそらく喜び勇んで.
22 ἀκούσας δὲ ὅτι Ἀρχέλαος βασιλεύει τῆς Ἰουδαίας ἀντὶ τοῦ πατρὸς αὐτοῦ Ἡρῴδου ⸃ ἐφοβήθη ἐκεῖ ἀπελθεῖν · χρηματισθεὶς δὲ κατ’ ὄναρ ἀνεχώρησεν εἰς τὰ μέρη τῆς Γαλιλαίας,
(彼=イオセープが)聞いた時/ということを/アルケラオスが王として統治している
←イウーダイアを←彼の父ヘーローデースの後継者として/恐れた←その地に赴くことを.(彼=イオセープは)託宣を受けたので←夢で,退避した←ガリライア地方の中へ.
22.1 「(彼=イオセープが)聞いた後/ということを/アルケラオスが王として統治している←イウーダイアを←彼の父ヘーローデースの後継者として」
22.1.1 「(彼=イオセープが)聞いた後」
誰からヨセフが聴いたかは,書かれていない.人づてにということであろう.それが当時における情報伝達の常套手段であった.ガセネタもあったであろうが,この類いのは概して真実である.
22.2 「ということを/アルケラオスが王として統治している←イウーダイアを←彼の父ヘーローデースの後継者として」
22.2.1 「ということを」(ホティ)
「ホティ」は名詞節を導く接続詞.情報の内容を指す.
22.2.2 「アルケラオスが王として統治している←イウーダイアを」
ヘーローデース・アルケラオス(前22-後18)は,ユダヤ,サマリア,イドマエアの領主 (在位後4~後6) 。父ヘロデ大王の死後,弟のアンティパス,末弟のフィリッポスとの領地争いが起こり,前4年ローマ皇帝アウグストゥスから領地の保全を認められた.王名を冠することは許されず,領主とされた.その治世がきわめて残忍であったため,ユダヤ,サマリアの住民から直訴され,6年ローマで裁判にかけられてガリアに流刑.ユダヤはローマの属州となった。
22.2.3 「彼の父ヘーローデースの後継者として」
「アンティ」は多義的な前置詞であるが,ここでは「の代わりに」が妥当.後継者という意味である.わずか2年の統治に終わった.
22.3 「恐れた←その地に赴くことを」
ヨセフは,本当はユダヤ地方に行きたかった.できれば故郷のベツレヘムに戻りたかった.しかし,ユダヤ地方は残忍なヘロデ大王の,これまた残忍な長男アルケラオスの統治する所であったので,イエスは殺されるかもしれない.いくらヤハウェの指示とはいえ,ヨセフは躊躇した,とマタイは言いたい.
22.4 「(彼=イオセープは)託宣を受けたので←夢で,退避した←ガリライア地方の中へ」
22..4.1 「(彼=イオセープは)託宣を受けたので←夢で」
おりしもヨセフは,この度も夢の中の託宣を受けた.にっちもさっちもいかない時,神の指示をいただくのが,ヨセフの基本姿勢であった.その内容は書かれていないが,続く文章から明らかである.
22.4.2 「退避した←ガリライア地方の中へ」
いやいやながらガリラヤ地方の中へ退避したと,マタイは言いたい.その地はユダヤ地方,特にエルサレムから見れば,田舎.都落ちというところか.そこはヘロデ・アンティパスが統治を任されていた.
22.4.3 ヘーローデース・アンティパス 後21頃-後39
ガリラヤ,ペラエア領主 (在位後4~後39).ヘロデ大王の死後,その支配地を3兄弟の一人として譲り受け,ガリラヤ,ペラエアの領主となった.ガリラヤ湖畔に皇帝ティベリウスにちなんでティベリアという首都を建てるなど,親ローマ政策をとった.他方ユダヤ人に対しても好意的で,エルサレムでの祭儀にも出席した.ヘロデ・アグリッパス1世と争い,ガイウス・カエサル (カリグラ) 帝に追放された.
23 καὶ ἐλθὼν κατῴκησεν εἰς πόλιν λεγομένην Ναζαρέτ, ὅπως πληρωθῇ τὸ ῥηθὲν διὰ τῶν προφητῶν ὅτι Ναζωραῖος κληθήσεται.
そして(彼=イオーセープは)行き,定住した←ポリスの中に←ナザレットと言われる/それはためにである←実現される←語られたことが/預言者たちを通して/すなわち/ナゾーライオスと(彼は)呼ばれるであろう.
23.1 「(彼=イオーセープは)行き,定住した←ポリスの中に←ナザレットと言われる」
23.1.1 「(彼=イオーセープは)行き,定住した」
「定住した」の「カトイケオー」はそういう意味.一時滞在ではない.ガリラヤは地方はイエスの生地ではなく,移住地.栄えあるユダヤのベツレヘム生まれ,文化国家エジプト育ちの,やんごとなきイエスは,やむなくガリラヤ地方へ移住したと,マタイは言いたい.
23.1.2 「ポリスの中に←ナザレットと言われる」
ポリスといってもエルサレムやアンティオケイアやエペソスのような大都市ではない.さりとてポリスというからには,少なからぬ規模の町であると思っていただきたいと,マタイは思っている.
ナザレはここでは「ナザレット」.実は福音書の以前にはいかなる文献資料にも出てこない.正確なところどこに存在したかは不明.当時の人々が何と発音し表記していたかも不明.
23.2 「それはためにである」
「ホポース」は,預言の成就を言うための定型引用を導く前置詞.とにかく,マタイはユダヤ教経典を盾にとって自説を強弁する人である.「私は」と,一人称で語っていただきたいものだ.
23.3 「実現される←語られたことが/預言者たちを通して」
23.3.1 「実現される←語られたことが」
預言の実現という原理主義的思考法を露呈する.ユダヤ教経典の権威を押し付ける.神からの直接の言葉を聞こうとしない.
23.3.2 「預言者たちを通して」
17節では「預言者エレミヤ」と明記されていたのに,ここでは「預言者たち」.続く文章をごまかすためかもしれない.
23.4 「すなわち/ナゾーライオスと(彼は)呼ばれるであろう」
ユダヤ教経典のいかなる箇所にもこういう文言は出てこない.「ナゾーライオス」の意味は不明.「ナジル人」は無理である.むしろイザヤ書11章1節の「ネーツェル」(נֵצֶר, 「若芽」)のほうが妥当である.マタイ学派は,「若芽」は「メシア」を示唆すると考えたのかもしれない.
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