2023年7月16日 主日礼拝
聖書講話 「ある知者の洞察(25)〜勤勉も怠惰も虚無」
聖書箇所 コヘレトの言葉 4章4〜6節
[聖書協会共同訳]
4 また、私はあらゆる労苦とあらゆる秀でた業を見た。それは仲間に対する妬みによるものである。これもまた空であり、風を追うようなことである。 5 愚かな者は手をこまぬいて、己の身を食い潰す。6 両手を労苦で満たして風を追うよりも/片手を安らぎで満たすほうが幸い。
[下線は改善の余地があると私には思われる部分である]
以下は,ヘブライ語とギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解.
4節
וְרָאִ֨יתִֽי אֲנִ֜י אֶת־כָּל־עָמָ֗ל וְאֵת֙ כָּל־כִּשְׁרֹ֣ון הַֽמַּעֲשֶׂ֔ה כִּ֛י הִ֥יא קִנְאַת־אִ֖ישׁ מֵרֵעֵ֑הוּ גַּם־זֶ֥ה הֶ֖בֶל וּרְע֥וּת רֽוּחַ׃
そして私は見た/あらゆる取得を.そしてあらゆる成功を←労働の.すなわち,それは,人の妬み(による)←その人の仲間のゆえの.これもまた蒸気,そして風の追いかけ.
Καὶ εἶδον ἐγὼ σὺν πάντα τὸν μόχθον καὶ σὺν πᾶσαν ἀνδρείαν τοῦ ποιήματος, ὅτι αὐτὸ ζῆλος ἀνδρὸς ἀπὸ τοῦ ἑταίρου αὐτοῦ· καί γε τοῦτο ματαιότης καὶ προαίρεσις πνεύματος.
そして私は見た/あらゆる労苦を,そして,と共に←あらゆる男らしさ←成果の,すなわち,それは人の妬み(による)←その人の仲間のゆえの.そして無論このことは,空虚.そして風の選択.
4.1 「そして私は見た」
コヘレトの「見た」は,広角に客観的に多様に深く見た.遠近法的な視覚.仏教でいう観自在菩薩の,見た.
4.1.1 観自在菩薩(玄奘訳)/観世音菩薩(鳩摩羅什訳)
アヴァローキテーシュヴァラ avalokiteśvara (Sanskrit: अवलोकितेश्वर)
ava「下へ/下を」+ lokita「観た」+ īśvara「君主」.つまり,「下を(=世界を)見おろす君主」の意.世界にじっと視線を注ぐ君主.いいかげんな見方をしない.無視しない.民衆の苦悩を観ずること自在なる人という意味.
4.2 「あらゆる取得を.そしてあらゆる成功を←労働の」
庶民の場合は,汗水流して得た給料や昇進.王侯貴族の場合は,他者に働かせて獲得した土地や,戦勝で得た領土.北方領土は日本のものであるが,第二次世界大戦末期,ソ連に占領された.占領したロシアは返還しない.今ロシアは,ウクライナに侵略し,占領しようとしている.ウクライナも防衛戦争を行っている.いつ戦争は終わるのか?なぜ戦争をするのか?
4.2.1 「男らしさ」(アンドレイア)
LXXの「アンドレイア」は,戦闘における勇敢な行為を示唆する.
4.3 「すなわち,それは,人の妬み(による)←その人の仲間のゆえの」
4.3.1 「妬み」(Hb:キヌアー.Gk: ゼーロス).それが戦争の原因であると,コヘレトは洞察する.キヌアーもゼーロスも,妬みに違いないが,競争心,敵愾心,憎悪,殺意を含む妬みである.妬みには他者に対する妬みもあれば,他者から受ける妬みもある.特に,独裁者は妬みが強烈である.徳川家康は,自分の権力を脅かす武将を10名毒殺した.ローマ皇帝ネロは,その妻や実母を殺害した.こうなると,孟子の唱えた性善説は,崩壊する.
4.3.1 「荒々しく残酷な野獣」
これは,ニーチェが『善悪の彼岸』で喝破した人間観である.荀子の唱えた性悪説と共鳴する.19世紀ヨーロッパの異才の哲学者ニーチェが列挙する事例を紹介しよう.
1)闘技場につめかけたローマ人
2)十字架の恍惚に身をこがすキリスト教徒
3)火刑の薪の山や闘牛を見守るスペイン人
4)悲劇に向かって進みつづける今日の日本人
5)血なまぐさい革命に郷愁を感じているパリの下町の労働者
彼らは,ニーチェの見るところでは,「荒々しく残酷な野獣」である.
(『善悪の彼岸』光文社古典新訳文庫,322-324頁)
4.4 「これもまた蒸気,そして風を追うこと」
キヌアー/ゼーロスは,よくいえば,情熱,正義,勤勉.しかし,一皮むけば,残酷.コヘレトは,熱意・勤勉といえども,「蒸気」(へベル)であり「風(ルアッハ)の追いかけ)」に他ならないと言う.それでは怠惰,怠けることのほうがよいのか?
5節
הַכְּסִיל֙ חֹבֵ֣ק אֶת־יָדָ֔יו וְאֹכֵ֖ל אֶת־בְּשָׂרֹֽו׃
愚者は自分の両手を握っている,そして自分の肉を食べている.
ὁ ἄφρων περιέλαβεν τὰς χεῖρας αὐτοῦ καὶ ἔφαγεν τὰς σάρκας αὐτοῦ.
愚者は自分の両手を包んだ,そして自分の肉(複数)を食べた.
5.1 「愚者はその両手を握っている」
5.1.1 「愚者」
怠惰な者と同義.古代ローマにおける遊興三昧の貴族の日常生活を示唆する.ストア派哲学者のセネカは『人生の短さ』の中で,そのような人生は「真の人生」(vīta vēra)ではない.「半分しか生きていない」「死んだも同然である」と批判している(De brevitāte vītae, 12.9)
5.1.2 「その両手を握っている」
意味不明.推測としては,両手の指を組み合わせる,手をこまねいて何もしない,というところか.鍬もスコップも手にしない.怠惰.
5.2 「そしてその肉を食べている」
怠け者でも食事をするという意味にとる傾向がある.他方,「肉」(バーサール)は,コヘレトの言葉の他の箇所に4回出てくるが,常に「人間の身体」という意味.OTのコヘレト以外の書でも,バーサールは人間の身体を意味する.ということは,コヘレトは人肉嗜食の比喩を使っている.怠惰は自己破滅であり,いわば自分の身体を貪り食らうようなものである.死んだも同然.生きているとは言えない.
6節
טֹ֕וב מְלֹ֥א כַ֖ף נָ֑חַת מִמְּלֹ֥א חָפְנַ֛יִם עָמָ֖ל וּרְע֥וּת רֽוּחַ׃
よい/充満は←一握りの←休息の/←よりも←充満←空の手の←労苦の.そして風を追うこと.
ἀγαθὸν πλήρωμα δρακὸς ἀναπαύσεως ὑπὲρ πλήρωμα δύο δρακῶν μόχθου καὶ προαιρέσεως πνεύματος.
よい/充満は←一握りの←休息の/←よりも←充満←二握りの←労苦の,そして風の選択.
6.1 「よい/充満は←一握りの←休息の」
6.1.1 「よい」(Hb: トーブ.Gk: アガトス)
ここでの「トーブ」は,もちろん善悪の判断における「善い」を含むが,体感的な「良い」も含む.たとえば,良い日和,良い風,良い川のせせらぎ,
6.1.2 「充満は←一握りの←休息の」
「休息」(Hb: ナハット.Gk: アナパウシス)は,一休みして寝そべる.深呼吸する.目を閉じる.動かない.只管打坐する.
「私は, 一日に少なくとも四時間, いっさいの俗事から解放され, 森や野原をあてどもなく散策するようにしていないと, 自分の健康や生気を保つことができないような気がする」(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー).週平均10講座担当する机の虫の私は,時々,近隣を散策する.
6.2 「よりも←充満←空の手の←労苦の」
妬みによる労苦の成果で,空の手を満たしたところで,何になるかという問いかけがある.LXXは,「よりも←充満←二握りの←労苦の」.妬みによる労苦の成果で,二握り分,あるいは三握り,四握り分を満たしたところで,その結果,家族や友人を失うならば,何になるか?
6.3 「そして風の追いかけ」
ルアッハ,虚無を追うこと.LXXは「風の選択」.プネウマ,虚無を選択すること.選択の誤り.選択を誤ると,あらぬ方向に逸れる.正しい選択は難しい.それでも,軽々に判断を下すことを控え,できるかぎり熟慮・熟考しなければならない.そのように自分に言うべきであった.
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