2024年7月14日 主日礼拝
聖書講話 「マタイ福音書のイエス (第7回)
~〈最敬礼されるべき子ども観〉を吟味する〜」
聖書箇所 マタイ福音書2章11〜12節 話者 三上 章
聖書協会共同訳
11 家に入ってみると、幼子が母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
12 それから、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分の国へ帰って行った。
以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.
11 καὶ ἐλθόντες εἰς τὴν οἰκίαν εἶδον τὸ παιδίον μετὰ Μαρίας τῆς μητρὸς αὐτοῦ, καὶ πεσόντες προσεκύνησαν αὐτῷ, καὶ ἀνοίξαντες τοὺς θησαυροὺς αὐτῶν προσήνεγκαν αὐτῷ δῶρα, χρυσὸν καὶ λίβανον καὶ σμύρναν.
そして彼らはその家に行った後,発見した←その子どもを/と一緒に←マリア・その子どもの母.そしてひれ伏した後,その子どもに最敬礼した.そして開いた後←彼らの宝箱を,彼に捧げた←贈り物を,(すなわち)黄金と乳香と没薬を.
11.1 「彼らはその家に行った後,発見した←その子どもを/と一緒に←マリア・その子どもの母」
11.1.1 伝承史的考察
用語法から見て,マタイの編集の手による可能性が高い.しかし根も葉もない作り話とは言い切れない.マタイは何かそのような伝承を知っていたかもしれない.
11.1.2 「その家」
9節の「ある場所」が,ここでは「その家」となっている.「家」と訳した「オイキア」は,普通の家である.「宿屋」ではない.その家は,その子どもと両親の家であった可能性もある.そうすると,両親はベツレヘムの住人であった.
11.1.3 「発見した←その子どもを」
焦点は「その子ども」に当てられている.マリアは影の存在である.
11.1.4 「と一緒に←マリア・その子どもの母」
イエスの親はマリアだけである.ヨセフは蚊帳の外.イエスには人間の父親はいない.ここに,単性による誕生の教説,いわゆる処女降誕のドグマの兆しが,見てとれるかもしれない.
たとえば,古代エジプトにも似た話がある.ある神話によると,ホルスはオシリスとイシスの間の子であるが,女神イシスが処女で産んだという。
11.4 「ひれ伏した後,その子どもに最敬礼した」
その子どもに対するマゴスたちの最敬礼.フィロンによると,神を拝む時の所作.イタリアに移入された外国の習慣として,「最敬礼」(プロスキュネーシス」に言及している(フィロン『ガイユスへの使節』De legation ad Gaium,116).「プロスキュネーシス」は本節の「最敬礼した」(プロスキュネオー)の名詞形.マタイは,ナザレのイエスこそが「キリスト」であると言いたい.元の言葉「クリストス」は,ここではほぼ万物の統治者としての神に等しい.
11.3 「開いた後←彼らの宝箱を,彼に捧げた←贈り物を,(すなわち)黄金と乳香と没薬を」
11.3.1 「開いた」
ということは,箱を予想させる.
11.3.2 「宝箱」
「宝」を意味する「テーサウロス」の複数形.ここでは「宝箱」であろう.後続の文言から,三つと考えられる.
11.3.3 「捧げた」
原語の「プロスペロー」は,「誰かのところへ持って行く」が原義.ここでは,その子どものところへ持っていくという意味.王に対する忠誠と服従のしるし.
11.3.4 「黄金」(クリューソス)
どのような形状なのか?
11.3.5 「乳香」(リバノス)
アラビア産の高価な香料と推測される.鎮痛薬としても使用された.
11.3.6 「没薬」(スミュルナ)
これもアラビア産の高価な香料と推測される.鎮痛薬としても使用された.
以上の3品の意味について,初期教会教父たち(エイレナイオス,アレキサンドリアのクレメンス,オリゲネスら)は,いろいろと空想を巡らした.たとえば,黄金は王としてのイエスのため,乳香は神としてのイエスのため,没薬は死ぬべき方としてのイエスのため.どうもいただきかねない.
12 καὶ χρηματισθέντες κατ’ ὄναρ μὴ ἀνακάμψαι πρὸς Ἡρῴδην δι’ ἄλλης ὁδοῦ ἀνεχώρησαν εἰς τὴν χώραν αὐτῶν.
そして彼らは託宣を与えられた後←夢で/ヘーローデースのところに戻らないようにと/別の道を通って引き返した←彼らの国に.
12.1 「彼らは託宣を与えられた後←夢で/ヘーローデースのところに戻らないようにと」
12.1.1 「彼らは託宣を与えられた後←夢で」
マゴスたちは夢の中で神から託宣を与えられた.こういうことを真に受ける世界観の中で,マタイおよび仲間のクリスチャンたちは生きていた.
今日では,夢という現象は,フロイトらの科学的研究によって,深層心理との関連で理解されるのが,常識である.「フロイトによれば,夢は日常の意識が低下した時に,心の深層から現れる無意識的な願望の充足であって,意識が受け入れようとしなかった過去の抑圧された願望内容を暗示する」(秋山さとこ).とはいえ,正夢のたぐいを迷信として,にべもなく排除する必要はない.
12.1.2 「ヘーローデースのところに戻らないようにと」
「のところに」(プロス)はマタイの好きな前置詞.本節がマタイの編集の手になることを示す証拠と見なすことができる.ヘロデはマゴスたちが戻ってくることを欲したが,神は戻らないことをマゴスたちに指示した.ヘロデの命令よりも神の命令のほうが優先されなければならない.
12.2 「別の道を通って引き返した←彼らの国に」
12.2.1 「別の道を通って」
当時の交通網は,予想以上に発達していた.
12.2.2 「引き返した」
ここは「アナコーレオー」.ヘロデのところに「戻る」は「アナカンムプトー」.意味に違いがあるかどうかは不明.もしあるとすれば,「アナコーレオー」のほうは,「危険から避難する」という意味合いがあるかもしれない(Vocabulary of the Greek Testament 参照) .
12.2.3 「彼らの国に」
ユダヤはマゴスたちにとって異境の地.今や,彼らは「彼らのコーラ」に帰還する旅路についた.「コーラ」は「祖国」「故郷」といった意味合い.彼らユダヤへの使節団は,その子どもに最敬礼を行うという使命を果たし,意気揚々と祖国に凱旋する.
マタイ教会の時点において思い巡らすことが許されると仮定するなら,そのクリスチャンたちにとってベツレヘムとその子どもがいる家とは,世界各地に存在する家の教会である.そこに集う人たちは,ユダヤ人であれ非ユダヤ人であれ,マゴスたちである.彼らが家の教会に集い,捧げ物をする時,その子どもに最敬礼を尽くすことになる.
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