2023年5月28日 主日礼拝
聖書講話 「マルコ福音書のイエス (第122回)
〜《人の不幸に乗じる似非宗教家》と真逆の本物の救援者」
聖書箇所 マルコ福音書 13章5〜8節 話者 三上 章
[聖書協会共同訳]
5 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
6 私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
7 戦争のことや戦争の噂を聞いても、慌ててはいけない。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。
8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
[下線は改善の余地があると私には思われる部分である]
以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解である.
ὁ δὲ Ἰησοῦς ἤρξατο λέγειν αὐτοῖς· βλέπετε μή τις ὑμᾶς πλανήσῃ
イエスは彼らに語り始めた. 「警戒してください←誰かがあなた方を惑わさないように」
5.1 「イエスは彼らに語り始めた」
5.1.1 「イエス」
イエスはマルコによって終末論者風に潤色されている.歴史のイエスは終末論に興味がなかった.
5.1.2 「彼ら」
終末論者風に潤色されたイエスの学友たちということになる.
5.2 「警戒してください←誰かがあなた方を惑わさないように」
5.2.1 「警戒してください」
直訳は「見続けてください」.マルコ教会のクリスチャンたちは,ノホホンとしていてはいけない.人生においていつ何時何が起こるかは分からない.油断しているとやられてしまう.居眠りなどしないで,しっかり目を開けておいてください.警戒すべきことがある.
5.2.2 「誰かがあなた方を惑わさないように」
「誰か」とは,羊の皮を被った狼のような似非宗教家のことであろう.イエスの時代にもマルコ教会の時代にも,そういう人物が毒キノコのように発生していた.その宗教的与太話は,宗教の影響に弱い人たちを惑わす.正常な判断力を失わせ,不安におとしいれ,混乱させる.
6 πολλοὶ ἐλεύσονται ἐπὶ τῷ ὀνόματί μου λέγοντες ὅτι ἐγώ εἰμι, καὶ πολλοὺς πλανήσουσιν.
多くの人たちが来るでしょう←私の名前を騙って/いわく.「私こそ〈・・・〉である」.そして多くの人たちを惑わすでしょう.
6.1 「多くの人たちが来るでしょう←私の名前を騙って」
6.1.1 「多くの人たちが来るでしょう」
似非宗教家たちは,大いに繁茂する.増殖する.至る所に続々と現れる.
6.1.2 「私の名前を騙って」
「私の名前」とは,歴史上の人物としてのイエスという名前ではなく,その死後,神に祭り上げられたキリストという称号のことであろう.「を騙って」と訳したのは,「エピ」という前置詞.その原義は「の上に」であるが,「エピ」+「名前」(オノマ)で,「を装って」を意味する用法がある.ここではそれ.それゆえ「私の名前を騙って」と訳した.
6.2 「私こそ〈・・・〉である」
述語がない.マルコ教会のクリスチャンたちは,「キリスト」を想像したであろう.しかし,生前のイエスが,学友たちに話すという物語設定では,「キリスト」と言うわけにはいかない.イエスがキリストとなるのは,死んだ後のことである.死後,イエスはキリストに格上げされ,神格化された.福音書記者マルコにとって,生前のイエスは人間イエスであった.ヨセフスの『ユダヤ戦記』と『ユダヤ古代誌』によると,イエスの同時代に,ローマ帝国に対して武装蜂起を行ったユダヤ人革命家たちがいた.すなわち,ペレアのシメオン(後4年頃),アトロンガイオス(後4年頃),ガリラヤのユダス(後6年頃),テウダス(後46年頃).ただし,彼らがキリストを自称した証拠はない.
6.3 「多くの人たちを惑わすでしょう」
「惑わす」(プラナオー)の原義は,「迷わせる」.たとえば,道に迷わせる.1902年の八甲田雪中行軍遭難事件.激しい吹雪が210名の訓練兵を道に迷わせ,199名の命を奪った.似非宗教家は,民衆の目の前に快晴をちらつかせるが,吹雪に豹変する.
7 ὅταν δὲ ἀκούσητε πολέμους καὶ ἀκοὰς πολέμων, μὴ θροεῖσθε· δεῖ γενέσθαι, ἀλλʼ οὔπω τὸ τέλος.
あなた方が聞くときはいつでも←戦争の数々を,そして戦争の数々のうわさを/あなたがたは動転してはいけません.それらは起こらなければなりません.しかし,まだその終わりではありません.
7.1 「あなた方が聞くときはいつでも」
前節は,しっかり目を開けておくべき話であったが,今度はしっかり耳を澄ますべき話である.当時,大部分の人は文字の読み書きができなかった.古代ローマにおける識字率は,1〜2%だったという説もある.自分だけで聖書を読むことはできない.聞くしか方法がなかった.聞く場所は家の教会であった.巡回説教者たちが迎えられることもあった.弁舌が巧みであったり,イケメンであったりすると,大いに歓迎されたであろうことは,想像に難くない.彼らはうまいことは言うが,本当の目的はお金であった.クリスチャンたちは,外面に惑わされることなく,理性と批判的判断力をもって聴く必要がある.
7.2 「戦争の数々を,そして戦争の数々のうわさを」
当時,世界の各所で戦争が行われていた.似非宗教家たちは,常套手段として,戦争にかこつけた終末論の駄弁を弄し,聴衆を脅し,似非宗教に引きずり込もうとした.
7.3 「あなたがたは動転してはいけません」
「動転する」と訳した「トロエオー」の原義は,「大声で叫ぶ」.恐ろしいものに遭遇した時,人は大声を出す.そこから「恐れる」「怖がる」という意味が生じる.それゆえ「動転する」と訳した.戦争で動転してはいけない.似非宗教家の思うつぼである.
7.4 「それらは起こらなければなりません」
人類の歴史は戦争の歴史であった.イエスやマルコ教会の時代もそうであった.今もそうである.突然変異でも起こらない限り,これからも戦争が起こり続けるであろう.
7.5 「しかし,まだその終わりではありません」
「その終わり」(ト・テロス)は,世界の終わりを指すであろう.戦争は世界の終わりではない.理性を持って戦争を直視し,一日でも早く和平が実現するように,共に働く必要がある.
8 ἐγερθήσεται γὰρ ἔθνος ἐπʼ ἔθνος καὶ βασιλεία ἐπὶ βασιλείαν, ἔσονται σεισμοὶ κατὰ τόπους, ἔσονται λιμοί· ἀρχὴ ὠδίνων ταῦτα.
すなわち,扇動されるでしょう←民族は民族に対して,そして王国は王国に対して/地震の数々が方々にあるでしょう.飢饉の数々があるでしょう.陣痛の数々の始めです←それらのことどもは.
8.1 「すなわち,扇動されるでしょう」
「扇動されるでしょう」は,「かき混ぜる」「かき回す」を意味する「エゲイロー」の未来時称・受動相.戦争との関連では,「挑発する」「扇動する」という意味で用いられる.平和な時にはおとなしい人たちが,いざ戦争となると豹変する.なぜか?扇動されるからである.覇権主義者たちによって扇動される.彼らにとって,民衆はいいカモである.欺しやすい.
8.2 「民族は民族に対して,そして王国は王国に対して」
8.2.1 「民族は民族に対して」
覇権主義者たちは,やれアクィタニア人のため,やれベルガエ人のために,やれケルタエ人のためにと,民衆に民族主義を吹き込む.その結果,自分をすぐれた民族と思いなす民衆は,劣った民族と見なした人たちを攻撃し,支配しようとする.
8.2.2 「王国は王国に対して」
大きな地政学的版図で言うなら,やれペルシャ帝国のため,やれアレクサンドロス帝国のために,やれローマ帝国のためにと,帝国絶対主義を吹き込み,侵略戦争への駆り立てる.
8.3 「地震の数々が方々にあるでしょう」
後17年のリュディア地震では,少なくとも12都市が壊滅した.
後62年のポンペイ地震では,ポンペイとヘルクラネウムが甚大な被害を受けた.
79年のウェスウィウス火山噴火の前兆とみる説もある.
ポンペイの想像図(79年の噴火前)
8.4 「飢饉の数々があるでしょう」
クラウディウス1世の時代(在位,41-54年), エジプト,パレスティナを含むいたる所で飢饉があったことが,セネカ,タキトゥス,大プリニウスらの証言によって知られている.ヨセフスは,紀元70年,ローマ軍がエルサレムを兵糧攻めにした時,飢えのため自分の息子を食べたユダヤ人女性を発見した事例を伝えている(『ユダヤ戦記』6.3.4).
8.5 「生みの苦しみの数々の始めです←それらのことどもは」
「生みの苦しみ」と訳した「オーディス」の原義は,「陣痛」.苦しみがいやましに増大することの比喩.陣痛の後には出産がある.出産は通常は喜ばしいもの,しかし,ここで生みの苦しみと言われている.こういうことに陣痛を持ち出すべきではない.戦争,地震,飢饉は,さらに悪いものをもたらす.その後の歴史がそれを証明する.「世界の終わり」が喧伝されながら2000年が経過した.まだ世界は終わっていない.世界は進歩してきたが,悪い方向にも進歩してきた.世界を終わらせようと思えば,終わらせる所まで来ている.
世界の核兵器が一斉に爆発したならどうなるかについては,はっきりしたことはわからない.しかし,人間を含む大型動物が絶滅することは,ほぼ確実だと言われている.世界の終わりに関する宗教的与太話の世界に夢遊するのではなく,核兵器をなくすための実際行動の歩みを進めるべきである.
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