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3/9 マタイ福音書のイエス (第31回)~「「信仰者」の言葉と実行の一致 ~

執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル平岡ジョイフルチャペル

2025年3月9日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第31回)

       ~「「信仰者」の言葉と実行の一致 ~」

聖書箇所    マタイ福音書 5章23〜24節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

23 だから,あなたが祭壇供え物献げようとしきょうだいが自分に恨みを抱いていることをそこで思い出したなら,

24 その供え物を祭壇の前に置き,まず行って,きょうだいと仲直りをし,それから帰って来て,供え物を献げなさい.


 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


23 ἐὰν οὖν προσφέρῃς τὸ δῶρόν σου ἐπὶ τὸ θυσιαστήριον κἀκεῖ μνησθῇς ὅτι ὁ ἀδελφός σου ἔχει τι κατὰ σοῦ,

したがって,もしあなたが連れて行くならば←あなたの犠牲獣を⇦上に←全焼供犠祭壇の,そしてそこで思い出すならば←ことを//あなたの兄弟が/もっている←あなたに敵対する何かを,


23.1 「したがって,もしあなたが連れて行くならば←あなたの犠牲獣を⇦上に←全焼供犠祭壇の」

23.1.1 「したがって」

 22節で語られた,自分の「兄弟」に怒りを抱き,罵倒することに対する抑制の忠言を受けている.

23.1.2 「連れて行く」

 定動詞の「プロスペロー」は,何かを「運んでいく」,「連れて行く」を意味する.ここでは供犠の話しであるから,何かとは供物のことであろうと予想がつく.

23.1.3 「犠牲獣」(ドーロン)

 「ドーロン」の原義は,「贈り物」.ここでは動物の贈り物,すなわち供物としての犠牲獣を意味する.牛,羊,鳩など.牛の奉献が一番であろうが,富者でなければできないであろう.

23.1.4 「上に←全焼供犠祭壇の」



 「全焼供犠祭壇」と訳した「テュシアテーリオン」は,全焼の供犠を行う祭壇.「上に」というのは,その祭壇の上で犠牲獣は焼かれた.


 建て前としては「焼き尽くす」.それゆえ「全焼供犠」(ヘブライ語:オーラー.ギリシア語:ホロカウストス).しかし,そうするなら高級祭司たちの取り分が消えてなくなる.実際は,犠牲獣は程ほどに焼かれた.ミディアムというところか.

 牛とはかぎらない.羊や鳩もあり.


23.1.5 全焼供犠の目的

 そもそも奉納の目的は何か?建て前としては,建て前は,敬神や信仰心の証のためであるが,本音は,御利益のためであろう.奉納物と引き換えに,病気治癒,商売繁盛,昇進,競技会の優勝,恋敵への勝利,裁判の勝訴,敵の破滅,等々を祈願する.こうなると賄賂と変わらない.神も収賄を好む俗物ということになる.もちろん,純粋な動機で,神への感謝,神への服従,敬神のしるしとして,奉献する人もいたであろう.

 ここでは,前後の文脈から推察して,金銭上の係争がからんでいると思われる.たとえば,多額のお金を貸したのに,なかなか返してもらえない.もう神頼みしかない.神に牛一頭を大ぶるまいして,善きに計らっていただきたいということであろうか.


23.2 「そしてそこで思い出すならば←ことを//あなたの兄弟が/もっている←あなたに敵対する何かを」

23.2.1 「そこで」

 どの場所か?神殿の中の全焼供犠祭壇前の所定の場所であろう.連れて行った犠牲獣をまさに祭司たちに引き渡す場所.

23.2.2 「思い出すなら」

 「エアン+接続法」という構文.蓋然性が高いことを示唆する.胸に手を当てて考えてください,そうすればきっと思い出すでしょう,という含みである.奉献には心の準備がいる.それは自分を反省することである.今の自分は,はたして神への奉献にふさわしいかどうかを自己吟味することである.宗教儀式の行為は,自己吟味の時である.

23.2.3 「あなたの兄弟」

 いくつもの意味が考えられる.肉親上の兄弟,同胞としてのユダヤ教徒,マタイ教団の同胞クリスチャン,クリスチャンであるかないかに係わらず,敬愛されるべき人間としての他者.決定することは難しいが,敢えて言えば,私は,マタイ教団の同胞クリスチャン説に傾く.

23.2.4 「もっている」

 「もっている」は現在時制なので,そのように訳した.福音書記者は,相手が今現在もっているものに注意を喚起する.それは何か?

23.2.5 「あなたに敵対する何かを」

 「敵対する」と訳した「カタ」という前置詞は,ここでは「敵対」を含意する.「敵対する何か」,すなわち敵対感情を相手はあなたに対してもっていますよ,ということ.

ひどい言葉で罵倒されると,人は逆恨みし,抑制できない怒り・憎悪に走りがちである.


24 ἄφες ἐκεῖ τὸ δῶρόν σου ἔμπροσθεν τοῦ θυσιαστηρίου καὶ ὕπαγε πρῶτον διαλλάγηθι τῷ ἀδελφῷ σου, καὶ τότε ἐλθὼν πρόσφερε τὸ δῶρόν σου.

保留しなさい←そこに←あなたの犠牲獣を←全焼祭壇の前で,そして行きなさい←最初に,和解しなさい←あなたの兄弟と,そしてその後に,行った上で,連れて行きなさい←あなたの犠牲獣を.


24.1 「保留しなさい←そこで←あなたの犠牲獣を←全焼祭壇の前で」

24.1.1 「保留しなさい」

 定動詞形の「アピエーミ」は,ここでは,握っていたものを放すという意味が考えられる.祭司たちに手渡すために保持していた犠牲獣を,手渡す手続きを保留するということ.人から恨まれているという深刻な状況があるのに,それを無視して奉納を行うどころの話しではない.


24.2 「そして行きなさい←最初,和解しなさい←あなたの兄弟と」

24.2.1 「行きなさい」

 全焼祭壇の前から「回れ右」して,行くべき方向に行きなさい,ということ.

24.2.2 「最初に」

 それが先決事項である.優先順位を誤ってはならない.

24.2.3 「和解しなさい」

 定動詞形の「ディアラッソー」の受動形.「変える」,「心を変える」が原義.受動形では,「他者との友好関係を新たに構築する」という意味で用いられる.裁判用語としては,和解とは,当事者間に存在する法律関係の争いについて,当事者が互いに譲歩し,争いを止める合意をすること.譲歩ということが重要である.お金の貸し借りに関する係争の場合は,貸した人は,借りた人に返済期限を延長してあげる.借りた人は,返済期限までに返済することを,誠意をもって約束する.その結果,合意が得られるならば,和解が成立する.

24.2.4 志賀直哉『和解』


 私が少年であった頃に読んだ,志賀直哉の私小説『和解』を思い出す.長い間,父と不和の状態にあった主人公順吉と,父親との和解の場面である.

父 「よろしい.それで?お前の云う意味はお祖母さんが御丈夫な内だけの話か,それとも永久にの心算で云っているのか」と父が云った.順吉 「それは今お父さんにお会いするまでは永久にの気ではありませんでした.お祖母さんが御丈夫な間だけ自由に出入りを許して頂ければよかったんです.然しそれ以上の事が真から望めるなら理想的な事です」と自分は云いながら一寸泣きかかったが我慢した.

 心を開いた主人公に,父も応じる.

「実は俺も段々年は取って来るし,貴様とこれ迄のような関係を続けて行く事は実に苦しかったのだ.(中略)俺の方から貴様を出そうと云う考は少しもなかったのだ.それから今日までの事も……」こんな事を云っている内に父は泣き出した.自分も泣き出した.二人はもう何も云わなかった.

 こうして和解は成立した


24.3 「そしてその後に,行った上で,連れて行きなさい←あなたの犠牲獣を」

24.3.1 「そしてその後に」

 和解が先である.戦争に適用するなら,平和条約の構築が最優先事項である.

24.3.2 「連れて行きなさい←あなたの犠牲獣を」

 「連れて行きなさい」は23節と同じ「プロスペロー」.和解が成立した今,祭司のところに犠牲獣を連れて行き,奉納する.奉納の目的も以前とは違う.今度は互恵のためである.奉納の祈りも純化されるであろう.たとえば,「どうか和解の約束が守られますように.自分の利益ばかりではなく相手の利益にも配慮できますように.神さま,どうか私の心を清め,あなたと人々の前で遜ることができる者に変えてください」







 
 
 

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