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3/2 マタイ福音書のイエス (第30回)~「殺すな」の意味を考察する~

執筆者の写真: 平岡ジョイフルチャペル平岡ジョイフルチャペル

2025年3月2日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第30回)

       ~「殺すな」の意味を考察する~」

聖書箇所    マタイ福音書 5章21〜22節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

21 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。22 しかし、私は言っておく。きょうだい腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。きょうだいに『馬鹿』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、ゲヘナの火に投げ込まれる。


 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


21 Ἠκούσατε ὅτι ἐρρέθη τοῖς ἀρχαίοις · Οὐ φονεύσεις · ὃς δ’ ἂν φονεύσῃ, ἔνοχος ἔσται τῇ κρίσει.

あなたがたは聞きました←昔の人たちに語られたということを←「あなたは殺人してはならない」と.もし殺人する人は,免れないでしょう←裁判を.


21.1 「あなたがたは聞きました」

 「聞いた」とは,口伝律法として聞いたということであろう.イエスの時代のユダヤ教社会においては,成文律法としてのトーラーが,シナゴーグで朗唱されていた.それと並行して,父祖伝来の口伝伝承による律法が,長老たちによって語り伝えられていた.それはトーラーと同格の実効力をもっていた.マタイ教団のクリスチャンたちは,ヤハウェから与えられた律法を聞き知っていた.知らないとは言わせないぞ,という感じ.


21.2 「昔の人たちに語られたということを」

 「昔の人たち」(ホイ・アルカイオイ)は,ヤハウェのトーラーを受け取った,古代イスラエル人を指すと思われる.彼らは昔の人呼ばわりをされている.ユダヤ教に対するマタイ教団クリスチャンたちの,自分たちは新しいのだという優越意識が見え隠れしている.古いものが劣っているとはかぎらない.


21.3 「あなたは殺人してはならない」

21.3.1 LXX 出エジプト記20章15節(MT 20:13)の文言への言及である.殺人禁止の法は,人類の歴史と共に古い.

21.3.2 『ウルナンム「法典」』

 現存する世界最古の法典.メソポタミア文明の前21世紀頃,粘土板に楔形文字で記された法.

 第1条「もし人がほかの人の頭に武器を打ち下ろしたならば,その人は殺されるべきである」

21.3.3 日本の刑法における殺人罪

 日本の刑法も殺人を禁止している.刑法第199条「人を殺した者は,死刑又は無期若しくは5年以上の拘禁刑に処する」

21.3.4 なぜ殺してはいけないのか? 仏教の説明

 仏教の説明が明解である.『法句経』(ほっくぎょう. Dhammapada「真理の言葉」) 129「 すべてのものは暴力に怯え,すべてのものは死をおそれる.己が身をひきくらべて,殺してはならぬ.殺さしめてはならぬ」


21.4 「もし殺人する人は,免れないでしょう←裁判を」

21.4.1 「もし殺人する人」 

 故意に殺人を行う人を指すであろう.

21.4.2 「免れないでしょう←裁判を」

 殺人者は,いきなり処刑されるのではなく,裁判にかけられる.同時代のローマ法を意識しているかもしれない.以下は尊属殺人に関する法である.「自由人を悪意により意識して死に至らしめた場合においては,犯人は殺人犯たるべし」

 「悪意により」と「意識して」にご注目.殺人が故意によるか否かが重視されている.


22 ἐγὼ δὲ λέγω ὑμῖν ὅτι πᾶς ὁ ὀργιζόμενος τῷ ἀδελφῷ αὐτοῦ ἔνοχος ἔσται τῇ κρίσει · ὃς δ’ ἂν εἴπῃ τῷ ἀδελφῷ αὐτοῦ · Ῥακά, ἔνοχος ἔσται τῷ συνεδρίῳ · ὃς δ’ ἂν εἴπῃ · Μωρέ, ἔνοχος ἔσται εἰς τὴν γέενναν τοῦ πυρός.

しかし,この私はあなたがたに言います.「だれであれ怒っている人は←自分の兄弟に,免れないでしょう←裁判を」.もし自分の兄弟に言う人は←「からっぽ頭」(ラカ)と,免れないでしょう←サンヘドリンを.もし言う人は←「鈍い者」と,免れないでしょう←火のゲエンナ落ちを.


22.1 「しかし,この私はあなたがたに言います」

 福音書記者マタイは,イエスに付託して,自分たちマタイ教団は,既存の殺人禁止法を凌駕する法をもっている,と言いたい.


22.2 「だれであれ怒っている人は←自分の兄弟に,免れないでしょう←裁判を」

22.2.1 「だれであれ怒っている人」

 マタイのイエスは,怒りを殺人と同等に見なしている.必ずしも飛躍とは言えない.怒りが殺人に至る事例は,周知のことである.「怒っている」は,現在分詞であるから,そのように訳した.マタイ教団の中で今実際に怒っている人を,マタイは念頭に置いている,と私には思われる.

22.2.2 「自分の兄弟」

 どのように解釈すべきか?少なくとも三つの解釈が考えられる.① 肉親の兄弟 ② ユダヤ教徒全般 ③ .いずれかに限定することは難しいが,私はどちらかといえば,③「マタイ教団の同胞のクリスチャン」説に傾く.「だれであれ」と訳した「パース」は,一人一人を意識している.マタイ教団のクリスチャンのAさん,あなたもです.Bさん,あなたもです.Cさん,あなたもです.他人事ではなく,あなた自身の問題として受け止めてください.愛するべき兄弟に怒っているとは何事か.それは兄弟を殺すのに等しい,と福音書記者マタイは言いたい.


22.3 「もし自分の兄弟に言う人は←「からっぽ頭」(ラカ)と,免れないでしょう←サンヘドリンを」

22.3.1 「からっぽ頭」(ラカ)

 「ラカ」は相手を侮蔑する言葉であるが,正確な意味はわからない.一説によると,カルデア語の「ライカー」に由来するとされる.「からっぽ」,「無分別で,頭が空の人」という意味.こういう言葉は使ってはいけない.

22.3.2 「サンヘドリン」(シュネドリオン)

「シュネドリオン」は,イエスの時代のエルサレムにあったユダヤ人の最高自治機関.構成員は71人.おもに祭司とパリサイ派の律法学者などからなる.律法の解釈によってユダヤ人の宗教生活全体を規定し,さらに宗教共同体の徴税と裁判を担当した.イエスは,サンヘドリンの裁判で死刑判決を下された.紀元70年のエルサレム陥落後解体し,その機能の一部は地方に残った.

⑪ サンヘドリンは,ヘロデ神殿の中に所在していたが,その場所の特定は不可能である.福音書記者マタイの観点からは,「ラカ」と言う人は,サンヘドリンの裁判を免れない.脅しの論法である.


22.4 「もし言う人は←「鈍い者」と,免れないでしょう←火のゲエンナ落ちを」

22.4.1 「鈍い者」(モーレ)

 呼格なので「鈍い者よ」.主格形の「モーロス」は,「鈍い」「のろい」.こういう言葉を他者に発する人は,テキパキ,バリバリがいいと思っているかもしれない.

 しかし,鈍行列車にもそれなりのよさがある.

 イソップ物語の「ウサギとカメ」を思い出すべし.

22.4.2 「火のゲエンナ落ち」

 これも脅しの論法.「ラカ」も「モーレ」も悪い.怒りよりもっと悪い.人を悪く言う人は,サンヘドリンの裁判どころではない.劫火の尽きることのない「ゲエンナ」落ちである.「落ち」は,「エイス」(の中へ)の意味を汲んで訳した.この用語は,アラム語の「ゲーヒンナーム」に由来する.ダンテの『神の喜劇』(Divina Commedia.『神曲』)の「インフェルノ」や日本仏教の「地獄」と共鳴する.人を説得するのに脅しの手を用いるのは,いかがなものかなとは思うが,しかし,他者に怒りを持ち続けてはいけない,他者を侮辱してはいけない,という福音書記者マタイの主張はわかる.






 
 
 

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