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執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

12/22 マタイ福音書のイエス (第22回)~〈ベツレヘム生まれの王〉の友愛

更新日:2024年12月24日

2024年12月22日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第22回)~〈ベツレヘム生まれの王〉の友愛」 

聖書箇所    マタイ福音書 4章23~25節   話者 三上  章


      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音宣べ伝え、民衆のありとあらゆる病気や患い癒やされた。24 そこで、イエスの評判がシリア中に広まり、人々がイエスのところへ、いろいろな病気や痛みに苦しむ者、悪霊に取りつかれた者、発作に悩む者、体の麻痺した者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々を癒やされた。25 こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、さらにヨダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに付いて行った。

 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


23 Καὶ περιῆγεν ἐν ὅλῃ τῇ Γαλιλαίᾳ, διδάσκων ἐν ταῖς συναγωγαῖς αὐτῶν καὶ κηρύσσων τὸ εὐαγγέλιον τῆς βασιλείας καὶ θεραπεύων πᾶσαν νόσον καὶ πᾶσαν μαλακίαν ἐν τῷ λαῷ.

そして彼(イエス)は巡回した←ガリライアの中で,教えながら←彼らのシュナゴーゲーの中で,そして伝達しながら←その王国の吉報を,そして手当てをしながら←あらゆる病気とあらゆる病弱を←その民の中の.


23.1 「そして彼(イエス)は巡回した←ガリライアの中で」

23.1.1 「そして彼(イエス)は」


 マタイ福音書では,イエスはユダヤ地方のベツレヘム生まれの王であった.彼は東方の大国,おそらくペルシアから来たマゴスたち,すなわち高位の祭司たちから,三つの誕生プレゼントを贈られた.黄金,没薬,乳香.それらは非常に高価なものであり,王にふさわしい贈り物であった.それらは,幼児イエスの代わりに両親によって受け取られたであろうが,その後,それらがどうなったであろうかと,気になる人もいるかもしれない.

 イエスの両親たる人たちによって,大事に保管されていたと考えるのが,順当であろう.やがて大きくなったイエスは,ヨルダン川流域に位置していた浸礼者ヨハネの教団に入会した.仏教でいう「出家」に相当する.その時点で,財産を手放したと推測してもおかしくない.その後,人里を離れた孤独の場所で,神が与えた厳しい試験を受けた時点では,イエスは無一文だったと思われる.ただし,お金にまさる四人の学友たちを得た.今やお金も名誉も地位も所有しない王であるイエスは,どこで何をしたか?

23.1.2 「巡回した←ガリライアの中で」


 イエスは,学友たちと共に,故郷のナザレを含むガリラヤ地方の方々を経巡った.イエスはガリラヤ地方をこよなく愛した.幕末の北方探検家の松浦武四郎を連想する.彼は伊勢の出身ながら,蝦夷地をこよなく愛した.樺太,国後島,択捉島にまで巡歴した.彼は過酷な扱いをされているアイヌ民族について,幕府に「明日のご開拓より今日のアイヌの命を」と切々と訴えたが,安政大獄の期に当たり取り上げられなかった.

 イエスのガリラヤ巡回の目的と内容は何であったか.


23.2 「教えながら←彼らのシュナゴーゲーの中で,そして伝達しながら←その王国の吉報を」

23.2.1 「教えながら←彼らのシュナゴーゲーの中で」

 「教えながら」とあるが,イエスの場合は,教え込むとか詰め込むというのではない.自分が神からいただいた貴重な宗教的体験を分かち合うのである.一個のメロンを持っている人が,そこに10人のメロン好きがいるなら,十等分して分かち合う.イエスの教育は,指導,訓育,強制のようなものではなく,「友愛」の実践である.「友愛」はギリシア語では「ピリア」と言い,対等な人同士の愛の交換プレゼントである.

 イエスの友愛としての教えは,ガリラヤ各地のシュナゴーゲーの中で行われた.シュナゴーゲーは,「集会」および「集会所」という意味.ここでは複数形.そこはユダヤ教徒の礼拝と交流の場所,心の拠り所.イエスの初期の活動は,シュナゴーゲーを拠点として行われた.イエスの教えの具体的内容は?

23.2.2 「そして伝達しながら←その王国の吉報を」

 「伝達する」(ケーリュッソー)は,「伝令(ケーリュクス)として伝言を伝達する」が,原義.イエスは神から委ねられた重要な伝言を,人々に,すなわち苦しみにさいなまされ,救済を切に待ち望む人々に伝達した.その伝言の内容は,当然,「吉報」である.ギリシア語では「エウアンゲリオン」.「伝令に与えられる褒美」が原義.イエスは,そのすばらしい褒美を,独り占めすることなく,困っている人々と分かち合った.

 その褒美とは「その王国」.「その」が何をさすかは明記されていないが,「神の」または「イエスの」が考えられる.その場合,神の王国とは何か?イエスの王国とは何か?それは現実の新鮮なおいしいケーキ.夢の中で食べる豪華なケーキではない.架空の世界で食べる架空のケーキでもない.今ここにあるりっぱなケーキ,それが「その王国」である.


23.3 「そして手当てをしながら←あらゆる病気とあらゆる病弱を←その民の中の」

23.3.1 「そして手当てをしながら」 

 イエスの友愛は,必然的に実行に現れる.「手当てをする」と訳した「テラペウオー」は,こんにちの「セラピー」の語源であるが,治療というよりは手当てである.かつて,水ぼうそうで膿だらけであった幼児の私を,母は意を決して抱いてくれた.これがテラペウオー,手当てである.

23.3.2 「その民の中の」

 「民」は「ラオス」.原義は「男性たち」「兵士たちの集団」.他の種類の集団にも使用される.福音書記者マタイは,自分が所属するクリスチャン集団と重ね合わせているかもしれない.


24 καὶ ἀπῆλθεν ἡ ἀκοὴ αὐτοῦ εἰς ὅλην τὴν Συρίαν · καὶ προσήνεγκαν αὐτῷ πάντας τοὺς κακῶς ἔχοντας ποικίλαις νόσοις καὶ βασάνοις συνεχομένους, δαιμονιζομένους καὶ σεληνιαζομένους καὶ παραλυτικούς, καὶ ἐθεράπευσεν αὐτούς.

そして広まった←彼(イエス)の評判が⇦シリア全土の中へ.そして(人々は)連れてきた←イエスのところへ⇦悪い状態にあり←さまざまな病気や苦悩によって圧迫されている人たちを,ダイモニアに取り憑かれた人たちを,そして月に打たれた人たちを,そして脳卒中の人たちを.そして彼(イエス)は彼らの手当てをした.


24.1 「そして広まった←彼(イエス)の評判が⇦シリア全土の中へ.」

 24.1.1 「そして広まった←彼(イエス)の評判が」

 イエスは,山本周五郎作『赤ひげ診療譚』の「赤ひげ」こと,新出去定(にいで きょじょう)みたいである.


24.1.2 「⇦シリア全土の中へ」


 イエスの評判は,ガリラヤ地方にとどまらず,より広大なシリアにも,しかもシリア全土に広まった.シリアは,東地中海沿岸の北部地方.その範囲は時代により異なる.古来いくつかの王国による支配を受け,前333年アレクサンドロス大王の征服をへてセレウコス朝の中心となった.アンティオキアは絹の道にあたり,東西交通の要地となった.前64年から古代ローマ領.


24.2 「そして(人々は)連れてきた←イエスのところへ⇦悪い状態にあり←さまざまな病気や苦悩によって圧迫されている人たちを,ダイモニアに取り憑かれた人たちを,そして月に打たれた人たちを,そして脳卒中の人たちを」

24.2.1 「そして(人々は)連れてきた←イエスのところへ」

 そこに名医ありと聞くと,遠くても,犠牲を払ってまでも,人々は行くものである.「連れてきた」という言葉に注目.自分には手当て行為ができなくても,病気の人を連れて行くことはできる.

24.2.2 「悪い状態にあり←さまざまな病気や苦悩によって圧迫されている人たちを,ダイモニアに取り憑かれた人たちを,そして月に打たれた人たちを,そして脳卒中の人たちを」

 四種類の人たちが列挙されている.(1)「さまざまな病気や苦悩によって圧迫されている人たち」 「圧迫されている」という言葉に着目.病気の治療は経済的圧迫を伴う.(2)「ダイモニアに取り憑かれた人たち」 当時の人たちは,精神疾患をもつ人をこのように呼んだ.(3)「月に打たれた人たち」てんかんのこと.てんかんは英語では epilepsy. ギリシア語の「エピレープトス」に由来し,「捕縛される」「拘束される」が原義.ダイモニアによって監禁されるということか.「月に打たれた」の定動詞は「セレーニアゾマイ」.てんかんは,満月の夜に増加すると迷信されていた.(4)脳卒中の人たち.


24.3 「そして彼(イエス)は彼らの手当てをした」

 イエスは分け隔てなくすべての人の手当てをした.イエスは,当時の巡回民間療法者程度の医学的知識と技術をもっていたという学説もある.


25 καὶ ἠκολούθησαν αὐτῷ ὄχλοι πολλοὶ ἀπὸ τῆς Γαλιλαίας καὶ Δεκαπόλεως καὶ Ἱεροσολύμων καὶ Ἰουδαίας καὶ πέραν τοῦ Ἰορδάνου.

そしてあとに従った←イエスに←多くの集団が⇦から⇦ガリライア,そしてデカポリス,そしてヒエロソリュマ,そしてイウーダイア,そしてヨルダン川対岸.


25.1 「そしてあとに従った←イエスに」 

 巡回を続けるイエスに,「おっかけ」(groupie)した.大げさな感じがするが,定動詞の「アコルーテオー」は,初期キリスト教会では「イエスの弟子としてあとに従う」「クリスチャンになる」を意味する術語.マタイ教会の観点が反映されているかもしれない.

25.2 「多くの集団が」

 あちらこちらから,A集団,B集団,C集団というふうに多くの集団が,イエスに押し寄せた.

25.3 「から⇦ガリライア,そしてデカポリス,そしてヒエロソリュマ,そしてイウーダイア,そしてヨルダン川対岸」


 当時のパレスティナ全土.世界宣教の理念を掲げるマタイらしいものの言い方.

 ベツレヘム生まれのユダヤ人の王,イエスは友愛以外は何ももたない王であった.しかし,その友愛は世界を目覚めさせ,歴史を転換させる友愛であった.


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