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執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

11/3 マタイ福音書のイエス (第17回)~荒野の修行(1)断食~

2024年11月3日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第17回)

                   ~荒野の修行(1)断食~」 

聖書箇所    マタイ福音書 4章1~4節   話者 三上  章



[聖書協会共同訳]  

      ※下線は修正の余地があると思われる部分

1 さて、イエスは悪魔から試みを受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた。2 そして四十日四十夜、断食した後、空腹を覚えられた。3 すると、試みる者が近づいて来てイエスに言った。「神のなら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 4 イエスはお答えになった。/「『人はパンだけで生きるものではなく/神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』と書いてある。」

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 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


1 Τότε ὁ Ἰησοῦς ἀνήχθη εἰς τὴν ἔρημον ὑπὸ τοῦ πνεύματος, πειρασθῆναι ὑπὸ τοῦ διαβόλου.

その時イエスは上に運ばれた←静寂な場所の中へ/その〈気〉によって,試験されるために←その中傷者によって.


1.1 「その時イエスは上に運ばれた←静寂な場所の中へ/その〈気〉によって」

1.1.1 「その時」(トテ)

 イエスの頭頂に鳩の形をした神の「気」(プネウマ) が着地したことを,前回に学習した.その時,イエスに驚くべきことが起こった.

1.1.2 「イエスは上に運ばれた」

 「連れ上げられた」の定動詞「アナゴー」は,「上に運ぶ」,「吊り上げる」が原義.アオリスト受動相なので,「上に運ばれた」と訳した.もちろん自分の力によってではない.「その〈気〉によって」である.〈気〉(プネウマ)の原義は,「蒸気」,「風」.蒸気のもつ熱エネルギーは,蒸気機関車を動かす力を発揮する.風も,台風やハリケーンのような超強力な類いは,どれほど甚大な力を発揮するかは,私たちの知るところである.イエスは神のプネウマの力によって軽々と上に持ち上げられ,運ばれた.飛行機のような空中移動である.イエスはてくてく歩いたのではない.鳩のように空中移動した.どこへか?

1.1.3  「静寂な場所の中へ」

 「静寂な場所」と訳した「エレーモス」は,「人気のない」,「寂しい」,「だれもいない」が原義.自分自身と一人向き合い,自分を見つめる場所である.神と自分一人が向き合う場所である.それゆえ「静寂な場所」と訳した.イエスは何のために静寂な場所の中に運ばれたのだろうか?

1.2 「試験されるために←その中傷者によって」

1.2.1 「試験されるために」

 定動詞「ペイラゾー」の原義は,「証明する」,「試験する」,「吟味する」.そのアオリスト不定詞受動相なので,「試験されるために」と訳した.俗人の観点に立つなら,イエスに起こった超自然的な宗教体験は,それが真実のものであるかどうかが吟味され,試験され,証明される必要があった.イエスは偽預言者であってはいけない.真実の人でなければならない.

1.2.2 「その中傷者によって」

 「中傷者」と訳した「ディアボロス」は,そういう意味.ちなみに,英語の'Devil' の語源.イエスの宗教体験が真実であることは,神の折り紙付きである.イエスも神のプネウマによって,その真実を確信していた.しかし,それを素直に認めない俗人もいる.それを「中傷者」(ディアボロス) という.マタイ福音書では,その類いが続々と登場する.祭司長たち,書記たち,長老たち.イエスの親族.故郷のナザレの人たち等.他にもイエスに反対し,イエスを迫害する人たちが大勢いた.彼ら中傷者たちによって文句をつけられたイエスは,彼らに対して自らの宗教体験の真実を丁寧にも証明した.自己弁明ではない.あくまでも反対者たちに対する正当な証言であり,明示である.


2 καὶ νηστεύσας ἡμέρας τεσσεράκοντα καὶ νύκτας τεσσεράκοντα ὕστερον ἐπείνασεν.

そして彼は断食した後←40日40夜の間/その後,飢えた.


2.1 「彼は断食した後←40日40夜の間」

 山伏が行う荒行を連想させる.人間は,水と睡眠さえとっていれば、たとえ食べものがなかったとしても2~3週間は生きられる.しかし,水を一滴も飲まないと,4~5日程度で死んでしまう.イエスが断食した場所は,水のある所でなければならない.人が眠らなかった最長記録は,260時間(11日間)という記録が残されている.イエスは睡眠も極端に削ったものと思われる.深夜まで起きていて,午前2時頃に起きる.

 自分の体験で恐縮であるが,わずか三日ほど山の中で断食修行をしたことがある.もちろんお腹が空くが,水を飲めばよい.再発見したことは,食事をしないということは,時間が有り余るということである.その時間を,日ごろ怠っていた聖書朗読や祈りや黙想に充当することができる.特に新鮮だったのは,夜明け前に起床して,月光を頼りに山の中に立ち入り,一人だけになる体験.人目をはばからず,大声で叫ぶこともできるし,暗闇の中で黙想に集中することもできる.そうすると,自分の至らなさ,非情,傲慢,無知および罪深さが芋づる式に露呈されて来る.

 イエスの荒行は,実に40日40夜に及んだ.

2.2 「その後,飢えた」

 定動詞「ペイナゾー」は,「死にしそうなほど飢える」が原義.単に空腹を覚えたではない.草でも虫でも土でも,食べられそうなものには何にでも手を伸ばすほどの飢えである.以下はマルコ福音書にはない話.マタイは別の伝承を使用している.



3 καὶ προσελθὼν ὁ πειράζων εἶπεν αὐτῷ ⸃· Εἰ υἱὸς εἶ τοῦ θεοῦ, εἰπὲ ἵνα οἱ λίθοι οὗτοι ἄρτοι γένωνται.

そして近づいて来た後←試験者が/彼(イエス)に言った.「あなたが神の息子であるなら,言ってください←これらの石たちがパンになるように」


3.1 「近づいて来た後←試験者が/彼(イエス)に言った」

3.1.1 「近づいて来た後」

 まさにその極限の場面において,巧妙にイエスに近づいてくる者がいた.

3.1.2 「試験者」

 前節の「中傷者」(ディアボロス) は,ここでは「試験者」(ペイラゾーン) と言い換えられている.「試験する」と訳した「ペイラゾー」の現在分詞.「試験し続ける」,「繰り返し試験する」という意味合い.


 ナチスの秘密国家警察,ゲシュタポ

(Geheime Staatspolizei) を連想させる.国家体制に反対する人を,逮捕し,尋問し,断罪と処刑に至らしめるのがその役割.


3.2 「あなたが神の息子であるなら」

3.2.1 「であるなら」

 仮定の意味はもたない.「であるからには」,「である以上は」という意味合い.

3.2.2 「神の息子」

 「息子」には冠詞が付いていない.神の息子たちの一人というくらいの意味.試験者はイエスを見くびっている.ギリシア・ローマ神話に登場する架空の存在としての半神半人にしか見ていない.


3.3 「言ってください←これらの石たちがパンになるように」

 飢えた人に対する一欠片の同情も感じさせない冷酷な言葉.パンを死ぬほど必要としている人に必要なのは,パンをあげること.私の叔父の一人は,自分が首相になったなら,国民にあんパンを二個ずつ配るとほざいていたが,あながちほら吹きではないかもしれない.あなたの空腹が満たされるように祈っていますという口先説教者や,豊かな生活を約束しますと甘言を弄する似非政治家よりましかもしれない.


4 ὁ δὲ ἀποκριθεὶς εἶπεν · Γέγραπται · Οὐκ ἐπ’ ἄρτῳ μόνῳ ζήσεται ὁ ἄνθρωπος, ἀλλ’ ἐπὶ παντὶ ῥήματι ἐκπορευομένῳ διὰ στόματος θεοῦ.

イエスは答えて言った.「パンだけによって生きるべきではないでしょう←人間は,そうではなく,あらゆる言葉によって(生きるべきでしょう)←の中から出てくる←神の口を通じて」


4.1 「イエスは答えて言った」

4.1.1 「答えていった」

 ユダヤ教聖書で非常に多く出てくる言い方.特にマタイには非常に多い.マタイは49回,ルカは36回,マルコは17回.マタイは,ユダヤ教聖書に固執する度合いが強い.



4.2 「パンだけによって生きるべきではないでしょう←人間は」

4.2.1 申命記 8章3節の引用.マタイは何かというと,聖書を盾に取る.自分の言葉をもたない.

4.2.2 「生きるべきではないでしょう」

 LXXでは命令的な意味をもつ未来時称.「べきである」,「べきでない」は似非説教者好みの表現.「生きる」ということを二分法的に単純化しすぎている.


4.3 「そうではなくあらゆる言葉によって(生きるべきでしょう)←の中から出てくる←神の口を通じて」

4.3.1 「そうではなくあらゆる言葉によって(生きるべきでしょう)」

  現実の無視.浅薄な精神化.問題のすり替え.マリー・アントワネットに帰せられる「ケーキを食べればいいじゃない」という言葉を連想する.フランス語では, Qu'ils mangent de la brioche !(「ブリオッシュを食べればいいじゃない」). それを踏まえた英語の慣用句 Let them eat cake を日本語に訳したもの.この台詞は,ジャン=ジャック・ルソーの自伝的な『告白』(出版は1782年) であるが,現在ではマリー・アントワネットの言葉ではないことが判明している.

4.3.2 「の中から出てくる←神の口を通じて」

 神の口の中から出てくる神の言葉といっても,聖書の文言のことである.生ける神の口から出てくる生命の言葉を,自分自身の実体験として聞いたということではない.

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