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執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

10/13 マタイ福音書のイエス (第15回)~〈イエスがバプティスマを受けたこと〉の意味~

2024年10月13日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第15回)

                  ~〈イエスがバプティスマを受けたこと〉の意味~」 

聖書箇所    マタイ福音書 3章13~15節   話者 三上  章


[聖書協会共同訳]  

      ※下線は修正の余地があると思われる部分

13 その時、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼(バプテスマ)を受けるためである。14 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「私こそ、あなたから洗礼(バプテスマ)を受けるべきなのに、あなたが、私のところに来られたのですか。」15 しかし、イエスはお答えになった。「今はそうさせてもらいたいすべてを正しく行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした



 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


13 Τότε παραγίνεται ὁ Ἰησοῦς ἀπὸ τῆς Γαλιλαίας ἐπὶ τὸν Ἰορδάνην πρὸς τὸν Ἰωάννην τοῦ βαπτισθῆναι ὑπ’ αὐτοῦ.

その時そばに来る←イエスが/ガリラヤから→ヨルダン川流域に→ヨハネの方へ/浸されるために←彼によって.


13.1 「その時そばに来る←イエスが」

 「そばに来る」と訳した「パラギノマイ」の原義は,「特定の場所に近づく」「来る」「到着する」「出席する」.イエスは明確な目標を目指して家を出た.仏教でいう「修行道場」への出立に例えられるかもしれない.


13.2 「ガリラヤから→ヨルダン川流域に→ヨハネの方へ」

13.2.1 「ガリラヤから」 

 マタイ福音書によると,イエスはユダヤのベツレヘムで生まれたが,両親と共にエジプトのとある町で幼少期を過ごした後,パレスティナのガリラヤに定住した.そこのナザレという町で青年期を迎えた.イエスにとって,住み慣れた故郷を出るということは,新しい人生への踏み出しであった.

13.2.2 「ヨルダン川流域に」

 「流域に」と意訳した「エピ」という前置詞は,「〜の上に接して」が原義.逐語訳は「ヨルダン川の上に接して」.川に接した地域といえば「流域」である.イエスが目指した場所は,ヨルダン川流域に所在するとある場所であった.浸礼者ヨハネを連想させる場所である.

13.2.3 「ヨハネの方へ」

 「の方へ」と訳した「プロス」という前置詞は,「〜のそばに」「〜の方向に」が原義.イエスの目の焦点は,ぴたりヨハネに合わされていた.ヨハネへの弟子入りを予感させる.

 ここで一つの疑問が湧く.イエスはどのようにして浸礼者ヨハネを知ったのか?私の想像では,イエスはすんなりとヨハネに出会ったのではない.彼のガリラヤ出立は,本当の師を求めての道行きであった.多くの名高い宗教者たちにまみえたであろうが,誰にも満足できなかった.もうだめではないかと諦めかけたところで,ヨハネに出会ったというのが,実際だったのではないだろうか.中国に本当の師を求めて留学した道元が,如浄に出会った場合のように.


13.3 「浸されるために←彼によって」

 ヨハネによって水に浸されるということは,イエスにとってヨハネに師事する明確な決断を意味していたと思われる.1年や2年ではない.5年でも10年でも,あるいは15年でも,ヨハネの下で共に学習し,修業したいと心底願っての,ヨハネ教団への入会だったのではないだろうか.


14 ὁ δὲ Ἰωάννης διεκώλυεν αὐτὸν λέγων · Ἐγὼ χρείαν ἔχω ὑπὸ σοῦ βαπτισθῆναι, καὶ σὺ ἔρχῃ πρός με;

しかしヨハネは止まらせた←彼(イエス)(が浸されることを).曰く.「私こそ必要があります←あなたによって浸される.そしてあなたが来るのですか←私の方に?


14.1 伝承の形成

 続く14〜15節は,歴史的出来事の記述というよりは,むしろイエスの死後に現れたクリスチャンたちによって形成された伝承に属すると考えられる.イエスを神聖視し,神格化しようとする意図が反映されている.


14.2 「しかしヨハネは止まらせた←彼(イエス)(が浸されることを)」

 マタイ教団のクリスチャンたちの中から,神にも等しいイエスが,なぜ人間であるヨハネから浸礼を受けたのかという疑問が生じたであろうことは,想像に難くない.ヨハネはたしかにすぐれた人間ではあったが,あくまでも人間にすぎない.伝承または福音書記者マタイは,実はヨハネはイエスの浸礼希望を止まらせたという,弁明を与えている.真に卓越した人間であるイエスを前に,ヨハネは身の程を知っていたと言いたい.


14.3 「そしてあなたが来るのですか←私の方に」

 神であるあなたが人間にすぎない私に帰依し,師事するのですか,とヨハネは言っていることになる.


15 ἀποκριθεὶς δὲ ὁ Ἰησοῦς εἶπεν πρὸς αὐτόν ⸃· Ἄφες ἄρτι, οὕτως γὰρ πρέπον ἐστὶν ἡμῖν πληρῶσαι πᾶσαν δικαιοσύνην. τότε ἀφίησιν αὐτόν.

返答してイエスは言った←彼に.丁度今は許可してください.なぜなら,そのような仕方で適合しています←私たちに/履行することが←あらゆる正義を.その時,彼(ヨハネ)は許可する←彼(イエス)(が浸されることを←彼(ヨハネ)によって)).


15.1 「返答してイエスは言った←彼に.丁度今は許可してください」

15.1 「丁度今は」(アルティ)

 「アルティ」は,「丁度今」という意味.単に「今」ではなく「この場この時に限り」という意味.福音書記者は,生前のイエスに即して語っている.入会者の浸礼を旨とするヨハネを前にして,浸礼を受けないということは,ありえない.イエスはヨハネの立場を尊重している.

 あるいはもう一つの解釈も可能である.「丁度いまこそ」神的出来事が起こる!マタイ教団の神学的解釈である.


15.2 「なぜなら,そのような仕方で適合しています←私たちに/履行することが←あらゆる正義を」

15.2.1 「そのような仕方で適合しています←私たちに」

 「そのような仕方で」とは,生前のイエスがヨハネから浸礼を受けること.「適合しています」と訳した「プレポー」は「ぴったり適合する」が原義.ヨハネが浸礼を授け,イエスが浸礼を受けるということは,生前のイエスの時点においては,完全に正しいと,マタイは言いたい.掟遵守への強い傾倒をもつ彼に似つかわしい.


15.2.2 「履行することが←あらゆる正義を」

 「履行する」と訳した「プレーロオー」は,「完全に実行する」「残らず実行する」が原義なので,そのように訳した.「あらゆる正義」の「あらゆる」もそれと共鳴する.そのように訳した「パース」という形容詞は,単数形では「あらゆる種類の」あるいは「一つ一つの」を意味する.「正義」とは,ここでは浸礼という入会儀式.入会儀式も遵守されるべき法的正義であると,マタイはイエスに付託して自分自身の倫理観を語っている.


15.3 「その時,彼(ヨハネ)は許可する←彼(イエス)(が浸されることを←彼(ヨハネ)によって))」

15.3.1 「その時」(トテ)

 イエスが言った「丁度今は」(アルティ)に対応する.生前のイエスに限定される話であることを,福音書記者は強調したい.同時に,神の出来事が起こる時であるということも言いたい.

15.3.2 「彼(ヨハネ)は許可する」

 「許可する」は,イエスが言った「許可してください」と同じ動詞「アピエーミ」である.「離してやる」が原義.「拘束しない」「邪魔をしない」「拒絶しない」「自由にさせる」を含意する.ヨハネはイエスの申し出どおりにした.その結果は?次回に学習します.


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