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執筆者の写真平岡ジョイフルチャペル

1/12 マタイ福音書のイエス (第25回)~〈弾圧を喜ぶ〉心理を吟味する~

更新日:1 日前

2024年1月12日 主日礼拝

聖書講話     「マタイ福音書のイエス (第25回)~〈弾圧を喜ぶ〉心理を吟味する~」 

聖書箇所    マタイ福音書 5章10~12節   話者 三上  章



      [聖書協会共同訳]  

        ※下線は修正の余地があると思われる部分

10 のために迫害された人々は、幸いである/天のはその人たちのものである。11 私のために、人々があなたがたを罵り、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いである。12 喜びなさい。大いに喜びなさい。には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」



 以下は,ギリシャ語原文の解明に基づく三上の私訳と講解です.


10 μακάριοι οἱ δεδιωγμένοι ἕνεκεν δικαιοσύνης, ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.

至福(・・・)起訴されてきている人たちは←公安の件で.なぜなら,彼らのものです←諸天の王国は.


10.1 「至福(・・・)」

 福音書記者マタイのイエスは,大いなる賛同を表明している.

10.2 「起訴されてきている人たちは←公安の件で」

10.2.1 「起訴されてきている人たち」

 定動詞「ディオーコー」は,「追跡する」が原義.ここでは法廷用語とみなし,「起訴する」の意味に解した.完了分詞受動相なので,「起訴されてきている人たち」と訳した.ギリシア語の現在完了は,なされた行為が今もなされているという意味合いをもつ.まさに起訴の最中であるとも解釈できるし,過去において何度も起訴が繰り返されたとも解釈される.

10.2.3 「公安の件で」

 「公安」と訳した「ディカイオシュネー」の原義は,「正義」.ここはイエス運動の活動家たちが治安を乱すかどうかの審議が想定されるので,「公安」と訳した.「の件で」と訳した「ヘネケン」の原義は,おそらく「の故に」である.公安が裁判上の事案になっているという観点から,「の件で」と訳した.

10.2.4 イエスの学友たちと裁判

 イエスの在世中に学友たちが裁判に起訴されたという記述は,福音書の中には見られない.イエスの死後になると,イエスを継承した学友たちに裁判沙汰が生じた.「起訴されてきている人たち」という文言は,その事実を示唆する.マタイ教会のクリスチャンたちにとっても,起訴されることは不可避であった.新しい宗教の始祖やそれに連なる人たちが,社会の中で法律違反者と見なされるのは,歴史の常である.

 イエスの学友たちとマタイ教会のクリスチャンたちは,誰によって,どこの法的機関に起訴されたのだろうか?ユダヤ教徒たちによってであろう,なかでも過度に保守的なユダヤ教徒たちによって,シナゴーグに起訴されたものと考えられる.過度に保守的な信徒たちが,先鋭的な信徒たちに反対した.反対は裁判上の起訴に発展する.


11 μακάριοί ἐστε ὅταν ὀνειδίσωσιν ὑμᾶς καὶ διώξωσιν καὶ εἴπωσιν πᾶν πονηρὸν καθ’ ὑμῶν ψευδόμενοι ἕνεκεν ἐμοῦ.

至福です(二人称複数)/時はいつでも←彼らがあなたがたを非難するでしょう,そして,起訴するでしょう,そして言うでしょう←あらゆる種類の悪いことを←あなたがたに対して/虚偽を申し立てる者たちとして←私に関する限り.


11.1 「至福です(二人称複数)」

 「至福」が文頭に置かれ,強調されている.日本語訳は「あなたがたは至福です」とならざるをえない.イエスは,特に四人の学友たちに向かって語っている.

11.2 「時はいつでも←彼らがあなた方を非難するでしょう,そして言うでしょう←あらゆる種類の悪いことを←あなたがたに対して」

11.2.1 「時はいつでも」

 その時は一回で済まない.

11.2.2 「彼らがあなた方を非難するでしょう」

 「彼ら」とは,過度に保守的なユダヤ教徒たち.「非難するでしょう」と未来形であるのは,イエスの死後に,学友たちがイエスの運動を受け継ぐ時に起こるであろう状況を予想している.

11.2.3 「そして,起訴するでしょう」

 裁判に発展するであろう状況を予想している.

11.2.4 「そして言うでしょう←あらゆる種類の悪いことを←あなたがたに対して」

 「そして言うでしょう」は,裁判における原告による告発の状況を予想している.「あらゆる種類の悪いことを←あなたがたに対して」は,告発の内容である.

 それはどのようなものであろうか?推測の域を出ないが,たとえば「イエスの学友たちは,イエスを神であると言っている」.人間が神を僭称することは,ユダヤ教では重罪であった.それに関連して,「イエスは死者たちの中から復活した」.あるいは「イエスは天の軍勢を率いて,やって来る」.これらも,イエスは神であるというのに等しい重罪である.そういった告発は,イエスと学友たちにしてみれば,悪い告発である.


11.3 「虚偽を申し立てる者たちとして←私に関する限り」

 つまり過度に保守的ユダヤ教徒たちは,イエスに関する限り,虚偽を申し立てる者たちである.確かな証拠によって立件されたことでない容疑を告発することは,虚偽申し立てということになる.こんにちの日本の法律では,虚偽告発罪に相当する.罰則は3か月以上10年以下の懲役.虚偽告発こそ重罪である.ソクラテス裁判を想起する.


12 χαίρετε καὶ ἀγαλλιᾶσθε, ὅτι ὁ μισθὸς ὑμῶν πολὺς ἐν τοῖς οὐρανοῖς · οὕτως γὰρ ἐδίωξαν τοὺς προφήτας τοὺς πρὸ ὑμῶν.

あなたがたは喜んでいてください.そして歓喜していてください.なぜなら,あなたがたの褒美は大きい←諸天における.なぜなら,そのように彼らは起訴したからです←預言者たちを←あなたがたの前の.


12.1 「あなたがたは喜んでいてください.そして歓喜していてください」

 「喜んでいてください」と訳した「カイレテ」は,現在時称.現在における進行・継続・繰り返し・習慣の意味合いをもつ.単発的に喜ぶのではなく,いつでも喜ぶ.「歓喜していてください」と訳した「アガルリアオー」も,現在時称.同義の動詞を二回繰り返すことによって,マタイのイエスは,喜び,すなわち宗教的喜びの価値を最大限に称賛している.

 では,宗教的喜びとはどのようなものであろうか?私自身はそれを体験したことがあるだろうか?まったくないといえば嘘になるかもしれないが,人前でそのようなことをぺらぺら語るほどのものではない.他者の例ならば,いくつも想起することができる.クリスチャンたちを迫害していたパウロが,キリストのほうに回心した時の喜び.アッシジのフランシスコが,ハンセン病患者を抱きしめた時の喜び.ルターが,ローマ書簡の研究を通してキリストに出会った時の喜び.


 キリスト教にかぎらない.たとえば,仏教の歓喜踊躍.『法華経』の信解品(しんげほん)には歓喜踊躍(かんぎゆやく)という語がある.これは信仰の喜びのあまり踊りあがって喜ぶさまを表す.

 激しく弾圧された時も喜び続けたクリスチャンに,私はオーストラリアのメルボルンで出会ったことがある.今から遡ること46年,1979年に,留学先のリドリー学寮で,私はルーマニア人牧師リチャード・ウォンブラントに出会った.この人は,ルーマニア大統領チャウシェスク(在位:1974年〜1989年)の無神論共産主義に従わなかったために,14年間投獄された.そのうち3年間は独房.彼が受けた弾圧・拷問と,そのさなかの宗教的喜びについては,これまでに何度かお話しをした.以下の書物は,ウォンブラント牧師から直接にいただいた著書の一部である.




12.2 「なぜなら,あなたがたの褒美は大きい←諸天における」

 マタイのイエスは,喜びの勧めの理由を語る.それは,諸天の王から賜る大きな褒美.ただし,これは目的ではない.理由である.どのような理由であろうか?弾圧のさなかで喜びを保持していること自体が褒美であるということ.恒常不変の喜び,これが天的な大きな喜びである.

12.3 「なぜなら,そのように彼らは起訴したからです←預言者たちを←あなたがたの前の」

 マタイのイエスは,さらにもう一つの理由を加える.世々の預言者たちが受けた弾圧である.彼らは,不当に起訴され,不当に弾圧された.名前は挙げられていないが,イエスの学友たちは,すぐにモーセ,エリヤ,エリシャ,イザヤ,エレミヤといった預言者たちを想起したであろう.もちろん,学友たちが尊敬してやまなかった,彼らの恩師である浸礼者ヨハネをも想起したであろう.預言者たちは悪に屈しなかった.弾圧の中で恒常不変の喜びを維持した.学友たちが,弾圧の中で喜びを保持するならば,預言者たちに連なることになる.

 ただし,恒常不変の喜びを得るためには,試練による練達が必要である.


 一例として,英国教会で起こったメアリー1世による弾圧の事例を挙げておこう.過激なカトリック主義者であった彼女は,女性・子どもを含む宗教改革者たち約300名を処刑した.そのため「ブラッディー・メアリー」(Bloody Mary) と呼ばれた.



 処刑された人たちの中には,私の宗教生活の歩みにとって重要な存在である,

ニコラス・リドリー司教(1500年生?‑1555年没)も含まれていた.リドリーは大衆を扇動したかどで,焚刑に処せられた.


私はリドリーの流れを汲む大学学寮(下のほう)に留学した.そこにおいて,幸いにもリドリーの改革精神のいくばくかに与ることができた.

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